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福井地方裁判所 昭和41年(わ)291号 判決 1968年11月12日

被告人 高木孝一 外八名

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

(本件公訴事実)

被告人らはいずれも福井県議会議員であつて昭和四一年六月二八日に行なわれた福井県議会副議長選挙に際し同副議長を選挙する職務を有していたものであり、かつ、被告人高木、同増永は右副議長選挙に当選したいと考えていたものであるが、

第一、被告人高木は、

一、被告人芝田に対し、昭和四一年五月二三日福井市足羽町一の一一料亭清風こと荒井信子方において、右副議長選挙の際は自己に投票されたい旨の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、

二、被告人藤堂に対し

1、同年六月上旬ころ福井市御本丸町一〇一福井県議会議事堂において、右同様の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、

2、同年六月中旬ころ、右同所において右同様の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、

三、被告人田中伝に対し、同年六月上旬ころ、右同所において、右同様の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、

四、被告人杉本に対し、同年六月上旬ころ、右同所において、右同様の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、

もつて被告人芝田、同藤堂、同田中伝、同杉本の前記職務に関して贈賄し、

第二、

一、被告人高木、同芝田は共謀のうえ、被告人田中作太夫に対し、同年五月二三日前記料亭清風において、右同様の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、

二、被告人高木、同藤野は共謀のうえ、

1、被告人田中伝に対し同年六月二〇日ころ前記議事堂において右同様の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、

2、被告人杉本に対し同年六月二〇日過ころ、右同所において右同様の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、もつて被告人田中作太夫、同田中伝、同杉本の前記職務に関して贈賄し、

第三、被告人増永は、

一、被告人芝田に対し同年六月上旬ころ福井市東宝永町二の一一五、福井県議会議長公舎において、前記副議長選挙の際は自己に投票されたい旨の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、

二、被告人多田に対し、同年六月上旬ころ福井市西松本町一の七二八自宅において右同様の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、

もつて被告人芝田、同多田の前記職務に関して贈賄し、

第四、被告人増永、同多田は共謀のうえ、被告人杉本に対し同年六月上旬ころ前記議事堂において、右同様の請託をなし、その報酬として現金五万円を供与し、もつて同人の前記職務に関して贈賄し、

第五、被告人芝田は、

一、被告人高木より前記第一の一記載の日時、場所において同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の供与を受け、

二、被告人増永より前記第三の一記載の日時、場所において同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の交付を受け、

もつて自己の前記職務に関して収賄し、

第六、被告人田中作太夫は、被告人高木、同芝田の両名より前記第二の一記載の日時、場所において同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら、同記載の現金五万円の供与を受け、もつて自己の前記職務に関して収賄し、

第七、被告人藤堂は被告人高木より、

一、前記第一の二の1記載の日時、場所において、同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の供与を受け、

二、前記第一の二の2記載の日時、場所において、同記載の信託を受けその報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の供与を受け、

もつて自己の前記職務に関して収賄し、

第八、被告人田中伝は

一、被告人高木より前記第一の三記載の日時、場所において同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の供与を受け、

二、被告人高木、同藤野の両名より前記第二の二の1記載の日時、場所において同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の供与を受け、

もつて自己の前記職務に関して収賄し、

第九、被告人杉本は

一、被告人高木より前記第一の四記載の日時、場所において同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の供与を受け、

二、被告人高木、同藤野の両名より、前記第二の二の2記載の日時、場所において同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の供与を受け、

三、被告人増永、同多田の両名より、前記第四記載の日時、場所において同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の供与を受け、

もつて自己の前記職務に関して収賄し、

第一〇、被告人多田は被告人増永より前記第三の二記載の日時、場所において同記載の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知悉しながら同記載の現金五万円の供与を受け、もつて自己の前記職務に関して収賄し

たものである。

(金銭の授受関係の事実認定略)

また右各証拠および公判調書中の各被告人の供述記載(高木については第三回、増永、芝田については第四回、田中作太夫、藤堂、田中伝については第六回、杉本、藤野、多田については第七回公判調書)によると、被告人らは当時いずれも福井県議会の議員であつて昭和四一年六月二八日右議会で行なわれた副議長選挙の選挙権を有していたこと、高木、増永は副議長になることを希望していたことが認められる。

しかし当裁判所は右金員はいずれも被告人らの福井県議会議員としての職務に関して授受されたものではなく、したがつて賄賂に該当しないと考えるので、以下にその理由を述べる。

第一、金員授受の趣旨について

本件の最も重要な争点は、右に認定した金員が、被告人らの間でどのような趣旨のもとに授受されたか、の点にある。すなわち本件公訴事実によると、それは直接「福井県議会副議長選挙の際は自己(高木又は増永)に投票されたい旨の請託」がなされて授受されたものであるというのであるが、弁護人らは後述するとおり、被告人らの所属していた県会自民党内で投票によつて副議長候補者を選定する際(以下党内選挙若しくは党内投票という)に自己(高木又は増永)に投票されたい旨の請託があつたにすぎず、福井県議会(以下本会議という)における投票に関する請託はなかつた、と主張する。

この点に関する直接の証拠として被告人らの検察官に対する各供述調書が存在するので、その内容について若干検討をしておこう。(1) まず高木の検察官に対する供述調書には、いずれも「副議長選挙に投票してくれるよう頼んで金員を渡した」旨の記載があり(41・10・29。41・11・16付四枚のもの、41・11・17付第三項までのもの、41・11・23)、党内選挙を指すのか、あるいは本会議での投票を指すのかは判然としないが、全体の趣旨からみると、後者の如くである。(2) 増永の検察官に対する供述調書は、当初党内選挙に関するもの(41・10・7及び41・10・15。いずれも判然としないが略その趣旨のようである)というのが、やがて、党内選挙及び本会議での投票に関するもの(41・10・27及び41・11・15)となり、最後に本会議での投票に関するもの(41・12・1及び41・12・2)となつて、供述の内容が変遷している。(3) 芝田の検察官に対する供述調書は、最初はただ副議長選挙に関するもの(41・10・3。41・10・13)というにすぎなかつたものが、党内選挙に関するものであり、且つ本会議での投票に関するものである(41・10・20)と供述の内容が変遷している。(4) 田中作太夫の検察官に対する供述調書も亦、当初副議長選挙に関するもの(41・10・6)というにすぎないのが党内投票及び本会議での投票に関するもの(41・10・13)と供述が変遷している。(5) 藤堂作衛の検察官に対する供述調書(41・10・26付第六項までのもの、41・10・30。41・11・30)、田中伝の検察官に対する供述調書(41・11・1。41・11・3。41・11・4。41・11・7。41・11・8)杉本杉市の検察官に対する供述調書(41・11・1付第八項までのもの。41・11・2。41・11・4。41・11・14)及び多田清志の検察官に対する供述調書(41・11・14。41・11・15。41・11・21。41・12・9。)はいずれも本会議での投票に関するもの、と供述しているにとどまる。(6) 藤野源治郎の検察官に対する供述調書は当初はたんに副議長選挙に関するもの(41・11・11)というにすぎなかつたが、後に本会議での投票に関するものと云い、更に、党内投票に関するもの(41・11・24)と、供述が変遷している。このように被告人らの検察官に対する各供述調書は、被告人相互間においても、亦供述の前後においても相応しないものがあるのみならず、そもそも、本件における請託の実体は、後述するように、客観的にみると第一次的には党内投票に関するものであり、(この点は検察官も当然前提として認めており争がないところである。)これに本会議での投票を依頼する趣旨がどの程度付随して存在していたのであるか、が問題になるのであるから、右各検察官に対する供述調書の記載が真実を伝えているとするならば、自ら、右の点が表れていて然るべきであるのに、右(1) 及び(5) の各供述調書は重要な党内選挙に触れることなく、直接且つ専ら本会議での投票を依頼したかの如く記載されている点で、果して真実を伝えているかどうか甚だ疑わしいものであるし、又右(2) 、(3) 、(4) 、(6) の各供述調書も、あるときは漠然と副議長選挙といい、あるときは党内投票といい、さらには又本会議での投票といい、その都度供述が変遷しており、変遷するにいたつた合理的な理由が見当らないから、いずれの供述が真実を伝えているか右供述調書だけからは窺い知ることができないのである。であるから、金員授受の趣旨については、結局被告人らの検察官に対する各供述調書の記載をもつてしては、いづれとも決定できず、他にこの点に関する直接の証拠はないから、金員授受にあたり当時被告人らが何を意図していたかを客観的な情況から合理的に推断してこれを決するほかないものと考える。したがつて、以下にまず福井県議会副議長選挙の実情を従前および本件当時の両面から検討し、次いで請託の内容を考察しよう。

一選挙の実情

証拠<省略>を総合すると、次の事実を認めることができる。

福井県議会(以下単に県会という)では、地方自治法施行後間もない頃は、議員が未だ明確な形をとつた政党、会派を構成せず、保守系グループと革新系グループに分れ、保守系グループの中でもまた同志が集合して小さいグループに分れて離合集散を繰り返していたが、昭和三二年ころ、自由民主党に属する議員が大合同して自由民主党県議員会(以下単に県会自民党という)なる大会派を作り、その時以来本件に至るまで、後述する例外を除いて、県会自民党は離合集散することなく一致団結して県会で行動してきた。そして、県会における副議長の席は、議長の席とともに、地方自治法施行当初から、保守糸グループの団結によつて同グループに属する議員によつて占められ、右県会自民党結成後は同党の一致した行動により同党所属議員で占め続けられてきた。地方自治法によると、議長副議長の任期は議員の任期すなわち四年間と定められているのであるが、県会自民党内では就任を希望する議員が多いため、前記法定の任期にかかわらず就任後一年経過するとその地位を辞任し、他の者に譲るという暗黙の申合せが同党内でなされ、この取決めがずつと守られてきたため、昭和三二年ころより、本件の同四一年六月に至るまでの間、毎年県会議長、副議長選挙が行なわれてきた。そして、これらの、例年の議長副議長選挙において、県会自民党所属議員によつて議長副議長の席が独占し続けられてきた所以は、一つには同党が議会で絶対多数を占めていたことによるとともに、二つには同党所属議員が本会議での議長、副議長選挙の際、一致して同党所属の議長副議長候補者に投票を行なつていたことによるものであつた。ところで前示のように、同党においては、議長副議長就任を希望する者が多数あつて、同党所属議員の一致した支持を得るため党内議員間で饗応接待、金銭の供与など派手な運動が行なわれていたので、県会自民党としては本会議での選挙で投票が割れてしまい絶対多数でありながら自党に議長、副議長を確保できなくなることをおそれ、かつは前記派手な買収合戦を自粛する意味もこめてあらかじめ党内で議長副議長となるべき候補者を話合いで決め、場合によつては党執行部や有力者の説得により、候補者を一人にしぼることにし、(これを党内調整と呼んでいる。)右調整工作ができない場合にはじめて党内投票により一人を選定し同党所属議員は本会議でその者に投票することにして、本会議での選挙に臨んでいた。昭和四〇年六月にいたり右党内調整に関して、自由民主党総裁公選規程を参考にして「県議会自由民主党議長候補者推薦規程」なるものを制定した。同規程によると議長、副議長就任を希望する議員は党執行部に対し立候補届をなし、同党所属議員が同党の総会で本会議において投票する議長、副議長の候補者を選挙で選出して決定することになつている。そして右規程のできた昭和四〇年六月の副議長候補者の決定は右規程に則つて投票により行われたが、本件の副議長選挙の票は一応立候補届はなされたものの、党内選挙に持込む前に党の有力者の説得により候補者が被告人高木一人にしぼられた。

二、昭和四一年度の副議長選挙

証拠<省略>を総合すると、次の事実が認められる。

被告人らはいずれも県会自民党に所属し、(但し、芝田は選挙前の昭和四一年六月一三日に脱退)高木、増永は昭和四一年四、五月ころから副議長選挙に出馬することを表明してその準備をすすめ、大戸与三兵衛も同年六月に入つて出馬の意思表示を行い、同月二二、三日ころいずれも前述した推せん規程に則つて一旦県会自民党執行部に副議長の立候補届をなしたものの、執行部の説得により同年六月二八日の本会議での選挙までに増永、大戸が相ついで立候補を辞退し、結局残つた高木が県会自民党総会で同党の候補者とする旨の承認を得た後、笠羽同党会長から党所属議員全員に対し本会議の副議長選挙には高木に投票するようにとの指示がなされた。当時県会の議員定数は四一名であつたが、一名欠員であり、四〇名のうち県会自民党三三名、日本社会党六名、民主社会党一名であり県会自民党が絶対多数を占めていた。しかし同年六月一三日に突然同党から芝田を含む九名が脱退し、自民党県刷新議員連盟(以下単に刷新連盟という)なる別会派を結成したので、県会自民党は二四名となつたが、依然として全議席の過半数を有していた。そして同年六月二八日午前二時ころ開催された本会議で副議長選挙が実施されたが県会自民党議員二三名(一名は出張のため欠席)だけが出席し、出席者全員が高木に投票したので高木は県会副議長に当選して就任した。

三、請託の内容

前項で認定したように県会自民党は本会議での副議長選挙の都度党内統一候補を立て、本会議において同党所属議員が右候補者に投票することによつて、副議長の席を独占し続けてきたわけであり、副議長就任希望者は、その目的を達するためにはまず、党内統一候補に選定されることが必須の前提条件であるとともに、党内統一候補に選定されさえすれば党議に従つて投票される結果、当然県会副議長になることができた。その意味では、党内統一候補に選定されることは、論者のいうように、「必ず通過しなければならない関門」であることは否定できない。それ故、副議長就任希望者にとつてはまず右「関門」を通過すること、すなわち党内で候補者となることが先決であり、最大の努力をこの一点に傾注するのが当然である。そして右希望者が金員を提供して投票を依頼したとすれば、その最大の意図は右党内での候補者選定の為の選挙に際して自己に投票されたいことを依頼することにあるのであつて、この点を飛び越え或いはこの点を含めて直接本会議での投票まで依頼するなどということの必要性は、特段の事情のないかぎり(後記のように、かゝる事情は本件は存在しない)とうてい考えることができない。したがつて、本件において、金員の授受に際してなされた請託は、直接的には、右党内選挙に際して、自己(高木又は増永)に投票されたいとの趣旨であつたことは疑を容れる余地がない。前記被告人らの検察官に対する供述調書中、あたかも直接本会議での投票を依頼したかの如く記載されてある調書(前記(1) 及び(5) )を信用することができない所以である。

ところで、問題は、金員の授受に際してなされた請託が右党内投票に関する請託にとどまるものか、あるいはこれに付随して本会議での投票を依頼する旨の請託をも含んでいたと認めることができるであろうか、という点にある。この点について、検察官は、「副議長就任を希望する側から見れば、党内候補者の選定は、その目的を達するためには必ず通過しなければならない関門であるとともに、党内が結束している限りは、その結果によつて事実上議長が決定するといつても、なおそのうえ本会議における選挙を経ない以上は、正式に副議長となり得ないのである。従つて、自己を党の推せんする副議長候補者に選定されたいとの請託には、必然的に副議長候補者に選定されたあかつきには、それに従い、本会議の副議長選挙にも自己に投票されたいとの趣旨をも含むものであることは当然であり、両者をことさら分離して全く無関係のものと考えることは不合理である。」と主張する。前示のとおり、県会自民党は、昭和三二年以来福井県議会の副議長の席を独占し続けたのであり、そのために同党のとつた措置は、要するに、一致団結するための事前の協議という各国の政党において古くから行なわれた慣行であつた。そしてこの事前の協議と、この協議した結果に従つて党が行動するという慣行、これを議会内での活動についていえば、党議に従つて党所属議員が議決権を行使する慣行の存在こそが、政党の存在を可能ならしめ、政党政治の核心をなすものである。政党所属員はこの慣行に従うために政党に加入し、この慣行を承認し、これに従うことを当然のこととして行動し、このことを相互に信頼しあつている。或る議題について、党内において事前の協議が成立しながら、なお議会において党議に従つて議決がなされるかどうかに心を悩まさなければならないとすれば、それは異状事態であり、その政党は崩壊に頻した病的状態にあるといつて過言ではあるまい。県会自民党所属議員は、右慣行を遵守して県会において、党内で選定した副議長候補者に投票したればこそ、過去一〇年間副議長の席を独占することができた。すなわち、昭和三四年は党内調整によつて正副議長候補者を選定し、昭和三五年は党内投票によつて正副議長候補者を選定し、(殊に議長候補者については一六票対一五票の僅差で決している)昭和三六年、昭和三七年は党内では無競争で正副議長候補者を定め、昭和三八年は議長候補者を党内調整、副議長候補者を無競争で選定し、昭和三九年は正副議長候補者を党内投票により選定し、本件の前年である昭和四〇年は議長候補者を無競争で、副議長候補者を党内投票により各選定し、そのうえ本会議に臨んで選挙の結果、それぞれ党内で選定した候補者が当選し正副議長に就任してきた。(以上の事実は、増永、田中伝に対しては当裁判所の証人笠羽清右衛門に対する証人尋問調書、その余の被告人に対して第一四回公判調書中同証人の供述記載、増永の41・10・16検によつて認められる。)このように、党内において無競争であつたり、あるいは党内調整が功を奏したりしながらも、若干の事例にみられるように党内が二つに別れて激しく対立抗争し調整のつかないまま党内投票で候補者を決定したという一種の危機に直面しながらも、一旦党で決定した以上は、党所属議員は常に党議にしたがつて、本会議で投票したのであつて、このことは県会自民党においては、同党所属議員の間に前示慣行が根強く定着し、県会自民党をして政党として十分機能せしめてきたことを物語るものである。もつとも、同党において、右慣行が遵守されなかつた事態が皆無であつたわけではない。例えば前記山本の証言、第四回公判調書中の増永の供述記載によると、昭和四〇年の副議長選挙の際、増永は笠原武とその地位を争つたが党内選挙で破れ、本会議でも笠原武が選出されている。ところが増永は右本会議に欠席して投票をしなかつたことが認められ、その他右のように議長、副議長を選出する本会議に欠席したり、出席していても棄権をするなどして消極的な方法で党議に従わない場合も時にはあつたことがうかがえる。しかし、このような事態は、そのために党議が覆えされそれに反する結果が本会議において実現されたというわけではなく、過去一〇年間党議に従つて本会議において投票が行われてきたという事実に比すると殆んどとるに足らない些細な例外現象であり、このことを過大に評価してあたかもかかる例外現象が常に存在し、前記慣行が危殆に頻していたと考えることはできない。

被告人らは県会自民党所属議員として、同党内において永年培われ厳として存在する右の慣行を承認し、これに従い、且つこれに信頼して、行動していたことは明らかである。高木にせよ増永にせよ、党内選挙の関門を通過することができたならば、本会議においては相互に、相手及びその支持者が自己に投票されるべきことを当然に期待することができるとともに、自己も亦相手に投票すべき責務を当然に負担していたのであつて、敢えて本会議での投票を依頼する必要は全くなく、専ら党内投票を依頼することに全力を傾注すれば足りたわけである。検察官が主張するような「自己が副議長候補者に選定されたあかつきには、それに従い本会議の副議長選挙にも自己に投票されたい」旨の請託は、その実質は要するに党議に従つて投票してほしい旨の請託の一面にすぎないのであるから、すでにこのような願望なり期待は金員の授受とは無関係に、党人として右慣行を承認し、期待するということの中に当然に含まれているのであつて、個々的に依頼することによつて、はじめて実現されるという性質のものではない。党内投票の請託のほかに、特に党議に従つて本会議で自己に投票してほしい旨の請託があつたとすることは、右慣行が遵守されないおそれ、換言すると、本会議では県会自民党所属議員が、党議に従つて議決権を行使しないおそれが強かつたというような特段の事情が存在しないかぎり、むしろ、不合理であり不自然であると考える。

それでは本件の金員の授受の当時、右のような特段の事情が果してあつたであろうか。金員授受の当事者である被告人らの検察官に対する供述調書の中には右のような事情を危惧していたことを認めるべきものはないし、客観的にみても、昭和四一年六月一三日、芝田ほか八名の議員が県会自民党を離脱して刷新連盟を結成(前記証人山本治の供述記載と同人に対する証人尋問調書によつて認められる)するまでは同党内に党議を無視して分派行動をとる者があることをおそれるような事情は全く認められない。また右刷新連盟の分裂後においては県会自民党内部で多少の動揺のあつたことは否定し得ないが、高木や増永をして党議に従わない者が続出するかもしれないことを危惧せしめる様なものでは決してなかつた。増永41・10・15検および第四回公判調書中の増永の供述記載によると、増永は自分を支持してくれるものと期待していた者が刷新連盟を作つたので残つている者だけでは到底勝目がないと判断し右時点以後は選挙運動をやめていること、また刷新連盟から本会議の選挙で高木、増永が決選投票に持込めば刷新連盟九名と野党七名のほか県会自民党に残留している中に増永支持者が四、五名いるからそれと増永自身の一票を加えれば勝てるからと誘いかけられたが断わり、分派行動や分裂する意思の全く無いことを表明していたことが認められること、一方第三回公判調書中の高木の供述記載や同人の検察官に対する供述調書によつては同人が右の点を危惧していたことを認めることができないこと、とりわけ、党内において、分裂や分派行動を抑制する特別の方策が講じられた事跡も窺えないのに前示のとおり昭和四一年の副議長選挙においては、県会自民党所属議員二四名中出張で不在の一名を除く二三名全員が本会議において同党の副議長候補者高木に投票して同人を副議長に当選させ、党議に完全に従つて行動した事実(因みに、同機会に行なわれた議長選挙についても同様である)に徴すると、刷新連盟が分裂していつた後も、県会自民党所属議員の間では、党議に従つて行動するという慣行はいささかも動揺していなかつたことが十分に認められる。

そうすると結局、被告人らの請託は、専ら県会自民党内における副議長候補者選定に際して自己に投票して貰いたい旨の請託に尽きるのであつて、本会議での投票を依頼する旨の請託は存在しなかつた、と認定できる。

第二、職務行為との関連性について。

本件金員はいずれも県会自民党内での副議長選挙の際の投票を依頼したものであること前項認定のとおりであるから、県会議員としての各被告人の職務行為そのものということはできない。

しかし、県会自民党は、前示のとおり専ら県議会議員のみをもつて構成された議会内政党であり、同党員は同時に議員でもある。そして、党内選挙は、本会議で当選を得しめることを究極の目的として行なわれるもので、一面、党所属議員が本会議で行使する議決権の内容を決定する準備行為としての性質を有し、この点で被告人らの県議会議員としての職務行為に関連性を有することを否定することができない。問題は、このように準備行為が一面、議員としての職務行為に関連しながら、他面、それが政党内部の党人的行動として行なわれている場合に、これを議員の職務行為と、刑法一九七条にいう「職務に関し」ということが出来る程の密接さがある、と評価できるか、という点にある。

思うに、政党は基本的には一般の自由な結社と異るところはないが、我国の議会制民主政治のもとでは、その不可欠の担手としての地位が認められている。政党は、各種の選挙における候補者の定立、選挙活動、議会内における立法活動、日常の政治活動、などを通じて、広く国民を指導し、国民の政治的意思を集約して国家の政策決定に直接影響を与え、また国民と国家機関との間の伝声管としての役割を果し、議会制民主政治の動脈的存在である。政党がこれらの機能を十分に果すことなしには、議会制民主政治の健全な発展、存続は不可能であり、政党の内部組織は、これらの機能をよく果すことができるよう、出来るだけ自由であることが要請され、政党及び所属員の政治活動の自由が強く承認されなければならない。我国の制定法上、若干の特殊分野(政治資金規正法、公職選挙法など)を除けば政党に関する定めはなく、その活動の殆んどが法的規制の埓外に自由に放任されており、また諸外国においても、少数の例外を除けば、いわゆる政党法の制定をみるに至らないのも、右の理由によるのである。右のような要請は、立法においてのみならず、法の解釈にあたつても十分に尊重されなければならず、目前の利害に目を奪われて、政党の機能を阻害する結果を招来することのないよう慎重に配慮されなければならない。

このような観点から本件についてみると、前示のような請託のもとに金員を授受することは、なるほど素朴な法感情からすれば議員の職務の公正を害するのではないかとの感を拭い難いものがあろう。けれども、党内で副議長候補者を選定する行為は、政党がその内部で、本会議に提出すべき議案を調査選定し、あるいは既に提案された議案について審議するなどの行為と本質的に異るところはなく、議会における立法活動の準備行為として、広く政党の自由に委ねられるべき性質のものである。このような行為の報酬に対して刑罰をもつて臨むことは、結局政党内部の自由な活動に制約を加え、ひいては議会制民主政治の根本を危うくするおそれがあるものであつて、これによつて生ずる損失は、右報酬の授受を一挙に禁圧することのできないことによつて生ずる損失に比べて、遥かに大きいものと考える。もとより、このような準備行為に金員がつきまとう病弊が規制されなければならないのは当然であるが、そのような規制は刑罰の力によつてではなく、政党の自律、そして究極的には選挙民の投票による批判の力にまたなければならないのである。それゆえ、法的にみると、本件金員授受の対象となつた党内投票は、本会議での議決権行使の準備行為ではあるが、いまだ議員の職務行為と密接な関連性を有するものではない、と解するのが相当である。

第三、結論

以上述べた理由により被告人間に冒頭認定のとおりの金員の授受があつたことは認められるが、いずれも被告人らの県会議員たる職務に関して授受されたものと認めることはできないので被告人らの本件各所為を贈賄罪あるいは受託収賄罪とする公訴事実はいずれもその犯罪の証明がないことに帰し、刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 中野武男 小河巌 熊谷絢子)

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